KOSZONTO / 聖誕祭の朝、僕は王と対峙する -Fair Doomsday-

僕は、10000曲作れる人よりも、10000回聴ける1曲を作れる人が好きです。takezou氏(@Studio_kurage)や、Leggysalad氏(@kevin327g)は間違い無く、後者のアーティストです。

 (KOSZONTO主宰 伊藤巧氏のtwitterより)


この作品を聴いたときの感覚は初めて自分で買ったCDを再生機に突っ込んだときのあの感覚に似ている(レコードを針に落としたときのあの感覚、と言いたいが残念ながら僕はアナログ世代ではない)。
再生ボタンを押した瞬間、いきなり世界へと引き込まれ、作品の情景が立ち昇る。優しさと力強さと気高さに満たされた冒頭曲Tr1"Edge of the World / 世界の果て (NEW HERO〜新たな英雄)"。初めてYesの危機(Close to the Edge,1972)を聴いたときをなぜか思い出した。しかし、2012年の今、聴こえてくる鳥の囀りはずっと爽やかでもっと軽やかなもの。そして何より圧倒的な多幸感がそこにある。新たな英雄が歩き出す瞬間。
音を立てて物語は動き出す。Tr2"Kantokotor / 天上の湖 (NOWHERE〜どこでもないところ)"。体が震えた。なんと怖ろしいメロディと歌声なのだろう。心を奪われるとはこういうことか。foolenさんの歌声を今まで知らなかったことを後悔した。そして圧倒的な音楽の前ではただただ涙が零れるだけなのだということを知った。ただ英雄は行軍していくのではない。ゲームではない現実がそこにはあって逃げようも無い。すべてを受け容れるほかない主人公がそこにはいる。それはおそらく僕たちも同じなのだ。
Tr3"Inkar / 眺望 (WHERE NOW〜ここからどこへ)"。静寂の歌は唐突だ。この人だと分かる深水チエさんのヴォーカルとエレクトロアンビエントのスローバラード。Tr2の作詞はfoolenさん、Tr3の作詞は深水さんであり、異なる二人の作詞の曲が連続するにも拘わらず、全く違和感無く作品世界は構成されている。Tr2が「動」なら、Tr3はまさしく「静」。絶対的な対立軸で表現するのは小心者の僕には怖いが、こう表現するほか無い。
時計が針を刻むようなリズムとミニマルなピアノとストリングスに彩られた、takezouさんによるTr2のアレンジ、Tr4"Rebirth / 再誕 (NOW HERE〜今、ここ) – “Kantokotor” reconstructed ver."にて再度物語は提示され、作品は幕を下ろす。しかし、聖誕祭の朝に王と対峙した「僕」の物語は無論終わるのではなく、これからも続いていくのだ。再び朝はやってくるし、そこからは逃れられない。


王は倒される存在なのか、永遠に倒すことなどできない存在としてそこに君臨する存在なのか、それともただそこに存在しているだけなのか。ジャケットからもHPで見ることのできるフラッシュからも答えは一概には導き出せない。ただ「僕」はただ何も考えずに立ち向かっていくのではなく、あらゆるものを受け容れて血を流しながら進んでいかなければならない。それだけは確かなのではないか。


この作品がこの世に出てよかった。僕にとってこの作品は救いでさえあるかもしれない。
彼は物凄い作品をプロデュースしたのだと思います。
気づかぬ間に何度でもリピートしていて気付くと日が暮れている。元気をもらえるメロディなのに、背中を押されている気がするのに気付けば泣いている。
掛け値なしに極上の、最高の作品です。


Rating: ★★★★★