相対性理論 presents『立式III』

2011年5月21日(土) 19:20〜20:45
中野サンプラザ

やくしまるえつこ(Vo)
永井聖一(Gt)
真部脩一(Ba)
西浦謙助(Dr)
勝井祐二(Violin)
江藤直子(Key)
zAk(PA)



曲をミックスしたイントロダクションでライヴが始まる。20分遅れのスタート。幕が閉まったまま青いライトが回り出す。やがて幕が上がって演奏陣の力強いプレイ。そしてそろりそろりとやくしまるえつこの登場。黒いスカートに白いストッキング、高いヒールを履いて時折足をクロスさせる。歌い方もフェティシズムを覚えさせる歌唱だとは思うけれど、それにも増してファッションや仕草にもフェティシズムを感じさせる、そんな立居振舞い。



曲の合間にステージ上で水を飲む動作でさえもかわいいと思わせるミュージシャンもそうそういないと思います。直立したままほとんど動かない、MCもほとんどないというのは前々から聞いていたので特に驚くことはなかったし、11月の大友良英のライヴの時もそういう感じだったのでなんとなくは知っていた。ほとんど何もせずほとんど何も動かずただ歌うやくしまるえつこの立つ円形ステージの電飾が過剰なまでにキラキラと眩しいのが逆に滑稽で、そのどこかちぐはぐしたミスマッチ感と、昔の遊園地みたいなショーとしての演出を電飾に担わせていたのかもしれない。



永井聖一がたまに前に出てくるくらいで演奏陣も基本的にはそのままの立ち位置。エレキバイオリンが組み込まれていたのが意外で、でもしっくりきていてよかった。勝井祐二氏の名前は初めて聴いたのだけれどキャリアを重ねている方のようで今後チェックできれば。ともかく演奏陣は情動的でパワフルでスタジオ盤を聴くのとはまた全然違う勢いがあった。永井聖一がアンコールのムーンライト銀河の最後にギターを投げ捨てて戻っていったのが印象的でした。
最後の最後で永井聖一が去り、真部脩一が去り、西浦謙助が去り。静かに残る3人。余韻を残しながら幕が下りた。最後に「ムーンライト銀河」だったのはよかった。



相対性理論名義の曲だけでなく、やくしまるえつこソロ名義の曲もあったのは意外で、でも1st『シフォン主義』からの曲がなかったのは少し残念だった。正しい相対性理論を受けてのライヴってのもあるのかもしれないし、確かに1stの楽曲を演奏するようなそういう雰囲気のライヴではなかったかもしれない。




ただ、正直なところを言うとこのライヴの感想としては「消化不良」。期待していたところと実際のライヴの雰囲気のギャップがあった。それはお前の期待なんだからライヴがその通りになるわけがないだろと言われればそれまでなんだけど、檻の中で演奏しているバンドを眺めるような不思議な距離感があって、観客との一体感であるとか緊張感というよりも、なんとも言えない気まずさみたいなものを感じてしまってどことなく落ち着かないままライヴが終わってしまった。
誰も立たない、誰もノらない。歓声もほとんどなく、あるのはただただ拍手。ポップなのに、ロックでもあるのに、クラシックのコンサートみたいで、かつ観客全体にもどんな感じだか様子見っていう雰囲気のようなものは確かにあった。(それにしてもアンコールの拍手が異様だった…メンバーが出てきて演奏を始めているのにまだ拍手してる人が一定量いてこれには流石に戸惑った…)
相対性理論のライヴ」というよりも「相対性理論の鑑賞会」という雰囲気だったと思います。「バンドとの距離感の解釈を各自でしていってね」というのが相対性理論の姿勢なのかもしれないけれど、あのホールの大きさと観客の多さでその姿勢を求めるにはまだ早かったのかもとは感じざるを得なかった。早いとかではなくてホールの規模との相性の問題なのかもしれないけれど。


このライヴを手放しで喜ぶ人もいるだろう。別にそれで構わないと思います。
不満を持っている人もいるだろう。別にそれで構わないと思います。
それは楽しみ方や期待がそれぞれあるってこと。ただ俺にとっては物足りなさだけが残った。餌を与えられて喜ぶ豚でいるならば、その喜びと共に、何を食べているのか、本当に美味しい餌なのかを知覚できる豚でありたい。確かにライヴ自体はよかったし、一曲一曲のクオリティは決して低いものではなかったです。でもとても手放しで喜べるような雰囲気ではなかったように思うし、あれで満足してしまうならば観客もそこで止まってしまう気もする。もっと騒げとかもっと一体感が、とかいうよりも、ライヴだからこその付加価値がほしかった。観客はもっと求めてもいいのではないのだろうか。そう思わせられたライヴだった。



熱気云々を抜きにして「ライヴ」が一体感のようなものを求めているものを指す言葉ならば、昨日のライヴは「コンサート」と呼ぶべきだろうし、また「ショー」とも呼ぶべきものだったとは思う。ショーマンシップを感じ取れるかといわれればなかなか迷うところ。でも、明確に意図をもってあの場の空気を演出しているのならば、やはりそれもショーマンシップというものなのだとは思っている。ただそのショーマンシップは観客全員がついていけるものではないのかもしれない。自分もついていけているかといわれればわからない。むしろついていけていない気がした。見えない服が見える人には見えるし、見えない人には見えない。そんな違いなのかもしれない。そういう意味で大きなホールでの隔たりのようなものを感じざるを得なかったのだと思う。
「ショー」として「コンサート」として観るべき対象である、やくしまるえつこ相対性理論という演者に、逆に観客が観られているのではないか、そんな気持ちさえ抱く短い不思議な夜なのでありました。

・セットリスト
SE.QMCMAS
01.Q/P
02.ミス・パラレルワールド
03.ヴィーナスとジーザス
MC「覚悟はいい? 不思議体験、はじまる」
04.ふしぎデカルト
05.人工衛星
06.Q&Q
07.四角革命
MC「目が合ったら、撃ちます」
08.シンデレラ
09.(恋は)百年戦争
10.ほうき星(未発表)
MC「ブロードウェイ vs とげぬき地蔵
11.COSMOS vs ALIEN
12.(1+1)
MC「またね」
EN.ムーンライト銀河
MC「おやすみ」