かんなぎ休載考(仮)

処女だ非処女だの問題についてのお話に始まって、某スレで「あの写真を送りつけてやったぜ」が原因だとかなんだとか言って、今回の休載はいろいろな憶測を呼びそうな気がするんだが(実際は呼んでいるのかな、その辺はあまりチェックしてないからわからない)、突然小説家と現代の漫画家(特に連載誌で描いてる人だろうか)の比較をしようと思ったのでメモ。

作家(特に完成品をポンと世に出す場合)

基本的には完成品を世に出して問題を問う形がそこには多くある。おそらくそうなのでは。当然全部が全部そうではないだろうけど。この際は、その作家なり小説家のファンは作品が世に出てから語り始める。でもまあ作家も連載誌があれば当然書いてる途中に批判もされるだろうし、それを真に受ければその批判を受けて構成を変える場合もあるんだろうか。でもプロットが決まってればそんなことはないだろうし、その辺は作家でないとわからないと言ったら卑怯だろうか。

漫画家(連載誌に連載している場合)

連載誌に載せてる漫画家さんもある程度はプロットを決めているのだろうと思う。でも連載している限り、さまざま外からの要因が作家の場合と比べて多いかもしれない。例えば、ジャンプやらいろいろのコミック誌は大体人気アンケートはあるだろうし、雑誌を売らなければいけない以上、人気のあるものはどんどん残して、ないものはどんどん打ち切る。やはりビジネスである以上それは仕方ない。でもそれは編集や担当さんの意見にも左右されることはあるんだと思う。それによってストーリーは描いている人の手を離れて意図せぬ方向に進む場合もあるんだろう。今回はそんなものではないとは思うが。少し脱線した。
 アニメ化も相まって人気作と言っても過言ではないかんなぎ(作品として過大評価も過小評価もする気はありませんが)が休載になったのは、文字通り作者の単純な体調不良やらストーリーが浮かんでこなかったとかいろいろあるのかもしれないが、あの問題のせいもあると仮定するとそれは作家とファンの関係の変質がどこかにあるのではないかと思う。それは作品の人物がこういう性格でこういう動きをしてこういう行動をするものだという読者のイメージ像と異なるから起きたんじゃなかろうか。完成品として作品が世に出ればそこにはキャラクターなりその人物像なり生い立ちなりはもう動かないものだから、それを好きになるなり嫌いになるなりするしかない。想像してもそれは作者が発言したものではない限りそれは想像の産物であって「本当の」人物なり作品ではない。もしかしたらその作品が完結してしまっていたら作者の発言さえもその作品とは親和的なものではないのかもしれない。また脱線か。でも、話を戻すと、連載誌とあってはキャラクターやその生い立ちは作者や担当さんやらが知るもんで読者はその作品が完結しない限り漫画家の出す情報を完全に得ることは出来ない。もう作者が情報を出し切ったと思うことがなければ。でも作品が終わらない限り登場人物が出てくる限りその人物の情報は全て出たとは言えないだろう。つまりその連載途中の漫画やらキャラクターやらが好きな人はその「未完成の」漫画やキャラクターが好きになっているわけで、その先を想像したり、明かされていないバッググラウンドを想像するのは自由だ。それは否定されるべきではない。でもだからこそそういうイメージが強かったときこそ裏切られたと思う気持ちも強いだろう。そこに作者とファン・読者の関係の多少の変質が存在しているとも思える。ファンはそこに多少なりとも理想を求めているかもしれない。でないと好きになれない人もいるだろうか。ただその理想を追い求めるあまりに、裏切られたと思うのはある種理想を押し付けているようにも感じられる。好きならば全面的にとは言わないまでも、賛同しろ、とかそういうことを言いたいのではない。あくまでもそういうように見えるというだけ。2chとかネット住民やファンの意見やらが大きくなっているのがネットの社会の性格かもしれない。誰でも意見を発信できるわけだし。作者もそういった世界にコミットしてる人もいるのかもしれない。そういうのを気にしないタフさを持っていればいいのだろうが作者も人間。それを真に受けてしまうこともあるだろうし、さらっと流せる人もいるだろう。人それぞれだと思う。文句を言うのは自分の中の理想のイメージ像がどこかにあるからという気がしてならない。

長々と書きすぎました。

思って書き留めたことを文章にしたらこんなにも長くなってしまった…。しかも何言いたいんだと言われるかもしれん。まあでもここは掃き溜めです。適当に書いては毒にも薬にもならない文章をつらつらと。実際書いてみると果たして作家との比較になったやら。漫画家部分の記事のウエイトが大きくなりすぎましたか…人に伝わるように文章を書くのはなかなか難しい。