ひぐらしのなく頃に礼。

賽殺し編

ネタバレありかな。
これからやる人は見ないでください。
以下個人的自己中心的自己満足的感想。

その前に

昼壊し編罰恋し編は正直本編からは逸脱したおまけのサイドストーリー。
ホラーでなくてもどちらも楽しんで読めるというのはあの特徴的なキャラクターに既に愛着が湧いてしまっているからでもあると思うのです。
だからこそ面白い。
絵にいわゆる「萌え」要素がないというのならキャラクター(=性格)で勝負してやろうというその狙いに見事にはまることのできた人がこのゲームを楽しんでプレイできる気もします。

それでは

賽殺し編の感想でも。


・選択は他力本願ではなくあくまでも自分のもの
・「元の世界」のほかに選択肢があるということに
 梨花の驕り(というと語弊がありそうだけど)があった
・肉親殺しの罪
がテーマかなと。


選択を迫られてそれを能動的にできるか受動的にできるかは大きな違いがあると本編は言っているように思うのですが確かにそこにはとても大事な要素があるのですよね。
能動的な選択には常に自分に責任が付きまとう。
これを選んだのは自分なんだからこういうことが起きたのは自分の所為だ
こういうことができたのも自分の努力のおかげだ
と。
でも受動的な選択には常に逃げが付きまとう。
これを選ばなければどうだっただろう
というIFの考えが常にあるような気がしてならないのです。
いやそこにはあるのですね。
それは自分の選択に責任を感じていない。
選ばされたのだからしょうがないという思いの元に成立している。
そういう世界に生きるようならそんな後悔に悩むのなら受動的な選択は否定されるべきだと思うのです。
その点は無条件に受け入れられることかなと。


そして2点目については現実には起こりえないひぐらしの特徴だったわけですが確かにもしも戻れる世界があったならそれは「元の世界」に戻れるというのが無論喜ぶべきこと。
しかし中途半端にでもその迷った先の世界での楽しみ方(と言うとまた語弊がありそうだけど)を知ってしまったからにはその世界にも未練が生じる。
そこには一度は死んでいながら生きる世界の選択ができるという一度きりに人生しかない現実に比べれば幸せと呼ぶべきかもしれない状況が広がっているわけです。
そして梨花はそんな選択自体が許されることを当然のように思っている自分が驕っていたということに気付く。
どちらの世界にも生きている人はもちろんいてその人々の生は一度きりしかない。
そしてどちらの人も幸せなはずなのに「世界」が違うならその「別の世界」の人などどうでもいい
というその考えに気付き葛藤する。
そこにこの話のテーマはあったとも思うのです。
もしもそういった状況に身を置くことができたならいつも世界が再生し選択ができると自分も当然のように思ってしまうでしょう。
それはあくまでもゲーム的な世界。
残騎数などそこには存在しない。
命は有限。
当たり前すぎる事実に結局行き着くのではないかと個人的には感じるのです。


そして3点目。
肉親殺しについてはオイディプス王に始まり数多の物語があり枚挙に暇がないのが事実です。
まあオイディプス王からは話はかなり遠い話題ですけどね。
この点では長々と感想を述べることもない気もするので短めに。
殺すことにいくら理由があるとは言っても非人道的なことをするからにはそこには当然のように葛藤が伴う。
ましてやそこには情という言葉では言い表せないような感情が互いに存在している。
それでも選択を迫られたとき殺しをできるか否か。
もしできてもそこには血塗れた自分の手が残る。
できなくてもそこには目的を果たせずに後悔している自分が残る。
どちらにせよそこには罪の意識と後悔の念は存在しているのだと思う。
というのなら肉親殺しを思うこと自体が罪。
結局こういうことになるのかなと俺は思います。
やむを得ず殺すことになるような事情ももちろん存在しているように思いますけど。


なんだか長々と語ってしまったような気もするけどこれだけ考えさせてくれるそして教訓めいた内容を提示してくれながらゲームとして存在していられる。
そういった点にもこのゲームの凄さはあるのではないか
そう思う次第なのです。